J100年構想

1863年FAでの会議にて、イギリス全土の統一サッカー規則が決まりました。ということは既に前回お伝えしております。1863年日本で言えば文久3年です。文久?と言われてもわかりませんよね。文久は4年、元治1年、慶応3年で明治維新です(1868年)。ですから、写真にあるように日本では坂本竜馬、勝海舟、高杉晋作が活躍していた時代です。遠くUSAでは、リンカーンのあの有名な演説がされた年になります。日本で幕末維新で国が大きく揺れ動いていた時に、英国ではサッカーのルールを真剣に考えていたわけです。サッカー歴史の違いは大きくかい離しているわけですよね。日本のJリーグは1993年、文久3年からは130年たってのことです。英国サッカー歴史とは130年の大きな差があるわけです。人間の寿命でいけば130年は2代から3代ですが、実際には成人としての活動寿命からすれば、わかりやすく徳川時代に遡れば、第1代徳川家康から第8代徳川吉宗までの期間が130年ほどにあたります。要は英国サッカーの土壌に追いつくならば、Jリーグ創設から親子8代の時間がかかるというわけです。勿論その間に英国も停滞はしてませんし、この議論には多少の無理があることは承知。しかしながら、そういった歴史の大きな違いが 1996年Jリーグ100年構想にもつながっているわけで、英国、ドイツ、フランスの様な地元に密着した理想のサッカークラブを発展させるためには、そう簡単にはいかないということです。現状Jリーグは地域密着型を大きく打ち出し、プロチームが全国にJ1からJ3まで約50数チームに広がっているわけですが、そこに集約させなければならない、資金と動員数が広がりすぎてついていけてません。選手層は薄く広がり、資金需要も集中できてません。1993年設立当時のJリーグチーム数が10~14チーム時代の方が投資効果は大きく、企業も媒体も集中できたわけですね。プロ野球チームが12チーム以上増やさない事でもお分かりなるかと思います。さてそうはいっても広げてしまった「風呂敷」、今さらにたたみ込むわけにはいきませんね。100年構想も20年が過ぎました、あと80年2096年には、大きく成長したサッカー界とそこでプレーする選手たちが幸福でありますこと、祈るばかりです。そのためには、次回にご説明しますが、「アマチュアリーグの発展」「逆ピラミッド理論」「アスリートの付加価値」の3点について、ご案内していきます。(今日は真面目に記述しました(笑)。)